いわさきちひろさんの描く目



2006年10月13日Fri.(イラストはちひろさんの描く目のイメージ)
 ふわふわっと暖かいタッチの水彩イラストを描いていた「いわさきちひろ」さん。主にかわいらしい子供達の絵が有名ですね。私の大好きな作家さんの一人です。

 私は子供の頃からちひろさんの絵を見てきましたが、当時なんで目が四角いんだろうと不思議に思ったことがあります。

 なんで四角っぽいかはご本人(故人ですので)の発言などの資料を調べていけば分かることなのかも知れませんが、私の推察から勝手に考えますと瞳が上下のまぶたに挟まれているからなんではないかなと大人になってからひらめきました(遅い!)。白目部分はまわりの顔の肌の色にとけあって見えなくなるので省略してるのかななどと・・・。

 確かに実際人の目を観察してみると瞳全体は出ていません。小中学生の頃、図工で自画像や友人など人の絵を描くときに瞳をまん丸く描いてしまい驚いたような表情になってしまうのには「どうして?」って当時思っていましたが、まぶたを意識し瞳の円形の上下を少しカットして描くことで自然な表情になることが現在の稼業を始めて時々スケッチをするようになってからわかりました。

 ちひろさんはそんな瞳の見え方を独自の技法として生み出し、絵を描き続けたのかも知れません。

 子供の頃はぼんやりとしたちひろさんの画風はあまり好きではありませんでした。でも、その考えが結婚を経て自分に子供が出来てから一変してしまいました。

 ちひろさんの描く子供の絵のうさぎのような可愛い目、小さな手の表情、顔と身体と手のバランス、愛らしい仕草。実際に子供達が持っている「かわいい」をものの見事に表現しています。見ているだけで「そうそうこんな時あったよな」なんて自分の子供の乳幼児の頃の写真を見ているような気分になります。

 ちひろさんはつらく悲しい戦争も体験し平和を望む思いから、子供達を悲しませる戦争に対しては絵をもって憎しみをあらわにしています。「戦火のなかの子どもたち」はよく知られているやさしい表情とは違って、戦争のまっただ中にいる母親と子供達の戦争を憎む悲しく鋭い目が力強く衝撃的です。

 ふんわりとした絵柄、戦争を憎む信念、両極端なものが融和し同居したちひろさんのやさしく力強い生き方に共感しあこがれてしまいます。



お仕事 向き不向き



2006年9月24日Sun.(イラストは本文とは関係ありません)
 このコラムを見ていただいている皆さんはどんなお仕事をしていますか?これからお仕事を探そうとしている方はどんなお仕事に就きたいですか?

 現在、お仕事をなさっている方々は今の自分の仕事、自分に合っていると思いますか?

 質問ばかり立て続けにしてしまいましたが、私の場合、今の職業は果たして自分に合っているかどうかよく分からずお仕事を続けています。なぜならデザイナーという肩書きをつけてから15年近くなりますが、未だに不得意なジャンルのデザインがありますし、自分の作ったデザインに対して100%満足がいったという記憶がほとんど無かったからです。デザインする度に何だか物足りない気がするのですが、それがどうしたら「いいなと思える他の優れたデザイン」に近づくのかよくわからないんです。

 では、自分には本当はどんな仕事があっているのか?

 ワケあって時々「出向」したりするのですが、コンビニや大型小売店のお仕事は覚えることが多くて頭がパニックでしたし、「誰でも簡単!」というふれ込みだったパンの製造補助はベルトコンベヤーに追いまくられ、すっちゃかめっちゃかでした。お恥ずかしながらどれも結局完璧な形で仕事をこなすことができない有り様(どんくさいですね〜)。私の「資質」の問題もあるかもしれませんが(苦笑)、さまざまな「出向」を通して現代社会におけるお仕事は無駄を省き利潤を極限まで追求するためか、なかなか「お気楽根性」ではお給料を簡単には手に出来ないくらい難しくなっているなと感じました。

 こんな経験を通して自分に合った職業ってなかなかこれだ!というのを見つけるのは難しいんだなと思いました。「出向」でのお仕事もそれ自体には生き甲斐は見つからず、ただ生計を維持するために我慢して労働時間を提供しているという感じです。

「出向」のお仕事よりはデザインをしている方がよっぽどましなのですが、「好き」と「職業として成り立ち、役に立っている」かは別次元ですね。毎回毎回どうデザインするかで悪戦苦闘、毎日毎日このままでいいのか、拙いデザインで迷惑をかけていないか考え続けています。

 そしてやはりというか要領が悪いのかわかりませんが儲かっていません(爆笑)。唯一の救いは私のデザインしたモノを喜んでくださる方が時々いらっしゃることです。端くれですがデザイナー冥利に尽きます。

 そうは言っても食っていかなくてはなりませんので5年後、いや2〜3年後はきっと違う職業をしていると思います。どんなお仕事に出会えることやら・・・。夢や希望とも永遠におさらば・・・か??



味がない?!



2006年9月8日Fri.
 ここ数回はデザインから話題が少し離れましたので軌道修正します。

 7月の後半に我が家の子供が楽しみにしていたポケモン映画を観にいったのですが、ストーリーの内容はまずまずとして画面の陳腐さに幻滅してしまいました。・・・というのも所々CGが使われていて凄いと言うより暖かみのある手描きのキャラの合間に挿入されるものだからCGの無機質さが比較・強調され、その違和感が気になって仕方がありませんでした。

 CGの挿入されている場面はもう記憶が曖昧なので「ここ!」という指摘は出来ませんが、劇場で大写しで映写されるのでけっこう分かるものです。アニメは立体を回して平面に表現するのですからCGを使えば容易に立体や空間を作れますがまだまだ無機質な感じは拭えていないようです。暖かみというか「味」がありません。

 「味」と言えばグラフィックデザインの世界では十数年前、写植を使った紙の版下からMACによるDTPに置き換わり始めた頃、MACで作ったデザインは無機質で「味」が無いと言われていました。私にとっても先輩デザイナーから「味がない」「固い」などとさんざん言われまくり(デザインセンスも無かった・・・笑)へこみまくった修行の時期でもあります。

 最近はみんな見慣れたのかデザイナーの技術力が上がったのか分かりませんが、さほどそんなことを言う人もいなくなりました。今やDTPで作られていない印刷物はほとんど無いと言ってもおかしくないくらいDTPが主流になりました。(はたして「味」はDTPでつくれているのか??)

 話はアニメに戻り、CGでキャラクターや背景が動くのは破綻が無く綺麗ですばらしいのですが、そればかりになるのもきっちりしすぎて考えモノです。やはり絵ぐらいは人に描いて欲しいです。きれいなだけじゃなく、多少矛盾した表現があっても手描きにこだわり匂いと体温のある作品を作り続けて欲しいと思います。

 ・・・とか何とか画面の批判をしつつ、映画自体はぽろぽろ涙を流しながら観てしまいましたけど・・・(マナフィーが可愛かったです)。

 (注 MACが無いとデザインできない自分のこともすっかり棚に上げています、スミマセン)



ねこちゃん、その後、ぱーと2



2006年9月7日thu.(写真が我が家に正式加入のねこちゃんです)
 8月の後半にねこちゃんの里親を募集しました(コラム8月21日参照)が、「三毛さん」のほうはもらってくださる方があらわれ、引き渡しも無事終わってホッとひと安心。譲渡先で幸せな一生を送れるよう願うばかりです。

 もう一匹の「ミルクティクリーム」のほうは里親が見つかりませんでした。同時に心配していた我が子の病院でのアレルギー検査結果の方ですが、動物アレルギーの反応はなぜか見つからず(あの苦しそうだった呼吸は何だったのだろう)、同居による健康障害の心配はひとまずなくなりました。これを機に里親探しはやめて我が家にねこちゃんを正式に迎え入れることにしました。

 実質上、子供が一人増えたようなもんでおとっつぁんは更にお仕事を頑張らなくてはと心に誓いましたとさ。(もちっと仕事増やさないとなぁ・・・こちらは積極的に募集中です)

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